こんにちは!鈴鹿市、津市、四日市市を中心に丈夫でかっこいい家づくりをご提案しているジップスタイルズです。
今日は前回に引き続き、ジップスタイルズの知られざる(!?)歴史を代表の橋本にインタビュー!
新卒で入った会社を辞めた橋本が、向かった先は…いったいどこだったのでしょうか?

―なけなしのお金を持って向かったのはオーストラリア!

働いた会社を辞めたころは、身体も心もかなり疲れてしまっていたので、海外へ出よう!と決心しました。
当時乗っていた車などを売り、現金200万円とサーフボードを持って世界を転々とサーフィンしながら旅をしました。
韓国から、サーフィンのできるバリなどを経て辿り着いたのがオーストラリア。
そこでたまたま「あるサーフショップの店舗図面を募集している」と聞き、設計事務所のお手伝いを始めました。1年ほど現地のラーメンショップやブティック、レストラン、ラウンジなどのプロデュースを手がけながら滞在していました。ところが、ビザの延長が認められず帰国することになってしまったんです。

―ジップスタイルズができるまで

帰国して、何をしようというときに、三重県が開催する万博の建築専門の職員にならないか?と声がかかり、三重県世界祝祭博覧会’94の建築を担当。同博覧会は、入場者数350万人を超える成功をおさめて閉会しました。
そのまま公務員になるという道もあったのですが、やっぱり公務員ではなく、自分の作りたいものを作りたい!と、一文なしのところから、平成7年にジップスタイルズの前身となるジップインテリアアーキテクツ一級建築士事務所を設立。
その5年後に有限会社ジップコミュニケーションズとして法人化。店舗設計などもやっていましたが、令和1年にジップスタイルズ株式会社として新たにスタートを切りました。

なんと、サーファーとして世界を放浪していた過去も明らかになった代表・橋本。
そんな個性的な代表の元に集まってきたのは、やっぱり個性的な仲間たちでした。
そんな楽しい仲間の紹介は、また後日♪

ジップスタイルズは、枠に囚われない発想と地元愛で、暮らしを愉しむ家づくりをお手伝いしてまいります!